2020年06月13日
静岡聖光と星野先生
こんにちは。
中学受験・高校受験・大学受験・個別指導・小論文対策なら興塾
です。
静岡聖光の星野校長先生より、先週、わざわざ私の方に、お電話を頂きました。聖光の先生は、毎年、何回か塾の方に来て下さっているのですが、星野先生とは、しばらく、直接には、お会いしていませんでした。
星野先生は、聖光の校長なられたので、お忙しいのだろうと思っていたのですが、今回、お電話を頂き、いろいろお忙しい中、日時は未定ですが、興塾の方に来て下さるということになりました。
世の中が、このような状況の中で、すぐには時間が取れないと思うのですが、その気持ちに感謝を申し上げます。と同時に、星野先生の学校を変えたい、良くしたい、という熱意を感じ、とても嬉しいなあ、と思いました。
翔洋も、村上先生が校長となってから、興塾にも来て下さるようになり(それまでは、小笠原先生だけが来ていました)、いろいろお話をさせてもらい、翔洋の変化が分かるようになりました。そして、翔洋も人気校になってきています。
聖光も、星野先生が校長になったので、これから、いい方に変わっていくと思います。
聖光の特長は、カトリック系だということと、男子校であり、寮もある、ということだと思います。
以前は、医者の子供達等、わりと、いい所の男の子が多いという印象でした。興塾からも、そういう子供達が聖光に通っていました。
最近は、私立中学も増え、私立中学へ行くこと自体が、昔ほど特殊ではなくなったこと等もあって、聖光も含め、私立中へ行く子供が、割と、普通の家の子が多くなってきていると思います。
聖光は、カトリック系であり、男子校ということで、わりと、生真面目な子供が多いのではないかと思います。それなりの家庭の子供が多いと思います。
授業のスピードは、星陵や静学等と同じように、高2までに、高3の授業内容を終了させて、高3は受験勉強にあてる、という方針をとっています。
進学実績は、入学した生徒の、もともとの資質によるものが大きいので、県内の中高一貫校の、授業内容の良し悪しについては、進学実績だけでは、余り、比べられないと思います。どこの私立も、公立にはない、いろいろな体験をさせますし、留学的なこともやっています。
一番、違うのは、校風、生徒の雰囲気と、しつけ、礼儀、人間としての生き方を、どこまで教育しているか、だと思います。
聖光の場合、カトリック系ですので、イエス様の教えです。
カトリックというと、宗教的で、ちょっと近寄りがたい、という雰囲気があるのですが、今の新興宗教や、仏教のいろいろな宗派が乱立し、みんな、他力信仰で拝めば、救われるようなことを言っていますが、それは間違いです。それが、人を遠ざけます。イエス様も、ブッダも、そんなことは言っていません。
人間は、物理の循環の法則、質量保存の法則、エネルギー保存の法則と同じように、生命(肉体ではありません。肉体は原子体です。)は不変であり、循環(転生輪廻)をし、魂の修行と、仏国土、ユートピアをつくる為に、生まれ、肉体を持つのです。
そして、ユートピアをつくる為には、調和が必要であり、調和する為には、まず、一人ひとりが慈愛の心を持ち、謙虚に、増上慢にならず、感謝と報恩の行為で暮らすことが大切、ということです。
慈愛とは、人の悲しみを悲しみとし、喜びと喜びとし、人を許す、ということです。その反対が心の三毒で、怒り、グチ、足ることを知らぬ欲望のままに生きることです。その根っ子は、自己保存、自我我欲です。
イエス様もブッダも同じ、神理を説き、肉体だけに心を奪われるのではなく、胸の奥にある、実体を持つ、心の尊厳性を説いています。
誰も、心の大切さ、心の尊厳性を否定できないと思います。人間としての根本的な生き方を、学校では教えるべきです。何回も、何回も、子供達に教えるべきです。
そうすれば、子供達の心に残り、正しいことをしようとする人間になり、子供の義務である勉強もするようになり、大人になっても調和する人間になり、人の為に、何かしようと思い、その為に努力をし、その子も出世すると思います。なるべく、中学生の時までに、教えるべきです。
そして、子供達に教える側の大人、教師が、自ら、原因と結果の根本となる、心の尊厳性、重要性を理解し、実践しているかが重要です。
実践していない、実践しようとしていない大人の心は、子供にも伝わり、子供が、大人のいうことを聞くはずがありません。偽善であり、説得力がないのです。
ですから、聖光でも、イエス様の教えを伝えようとしているなら、先生方が、そのようにしているか、分かっているかが大切だと思います。
単なるスローガンで終わらせない方がいいと思います。聖光に限らず、どこの学校の校訓も、つきつめれば、自己保存、自我我欲なく、慈悲と愛の心をもって、感謝の心で、報恩の行為を、人の為、世の為に為せ、ということになります。
怒り、グチは、必ず、争いを起こします。調和を目指すことが、人間の目的だ、ということを、子供達に教えるべきです。
作用・反作用の法則の通り、自分が発した想念は、自分に必ず返ってきます。善なる想いには善なる結果が、悪なる想いには悪なる結果が返ってきます。人を呪わば穴二つ、です。
表面的な、即物的な方法論や、ノウハウではなく、根本の原因である心のあり方を子供達に伝えれば、その子供達は、応用力のある、自由自在な考え方をするようになります。
自分だけが正しいと思い、自分を否定されるような言葉に耳を傾けず、否定されたという喪失感から恐怖心を持ち、怒りで相手に反論しようとし、自分を正当化するから、独善的になり、自分の考えだけに固執し、応用力がなく、理論的に考えられなくなります。
子供達には喪失感を与えず、基本的に、賞賛教育をすべきです。それが、自己肯定感(私は、この言葉は好きではありませんが)につながり、積極的に、失敗を恐れず、がんばれる子供になるのです。ちょっと長くなりましたが、そういうことだと思います。
興塾では、勉強のやり方についても、当然、教えますが、もっと大切な、この心の在り方、人間の生きる目的についても、できる限り伝えています。
最後になってしまいましたが、聖光の1つの特色である、寮がある、ということも、利用の仕方によっては、子供達の成長、自己確立をさせる為には、いいと思います。
奈良の西大和学園では、寮に入っている子供は、夕食の後、強制的な自主学習の時間が設けられています。勉強だけではありませんが、寮のメリットが活かされているかどうか、聖光でも、もう一度、見直されると良いと思います。
寮があることは良いことです。ただ、子供達は思春期です。寮の管理がしっかりできているかどうか、チェックすべきです。それが、保護者の信頼につながります。星野先生、大変でしょうけど、がんばって下さい。
お問い合わせはお電話で
0545-62-6755

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静岡聖光の星野校長先生より、先週、わざわざ私の方に、お電話を頂きました。聖光の先生は、毎年、何回か塾の方に来て下さっているのですが、星野先生とは、しばらく、直接には、お会いしていませんでした。
星野先生は、聖光の校長なられたので、お忙しいのだろうと思っていたのですが、今回、お電話を頂き、いろいろお忙しい中、日時は未定ですが、興塾の方に来て下さるということになりました。
世の中が、このような状況の中で、すぐには時間が取れないと思うのですが、その気持ちに感謝を申し上げます。と同時に、星野先生の学校を変えたい、良くしたい、という熱意を感じ、とても嬉しいなあ、と思いました。
翔洋も、村上先生が校長となってから、興塾にも来て下さるようになり(それまでは、小笠原先生だけが来ていました)、いろいろお話をさせてもらい、翔洋の変化が分かるようになりました。そして、翔洋も人気校になってきています。
聖光も、星野先生が校長になったので、これから、いい方に変わっていくと思います。
聖光の特長は、カトリック系だということと、男子校であり、寮もある、ということだと思います。
以前は、医者の子供達等、わりと、いい所の男の子が多いという印象でした。興塾からも、そういう子供達が聖光に通っていました。
最近は、私立中学も増え、私立中学へ行くこと自体が、昔ほど特殊ではなくなったこと等もあって、聖光も含め、私立中へ行く子供が、割と、普通の家の子が多くなってきていると思います。
聖光は、カトリック系であり、男子校ということで、わりと、生真面目な子供が多いのではないかと思います。それなりの家庭の子供が多いと思います。
授業のスピードは、星陵や静学等と同じように、高2までに、高3の授業内容を終了させて、高3は受験勉強にあてる、という方針をとっています。
進学実績は、入学した生徒の、もともとの資質によるものが大きいので、県内の中高一貫校の、授業内容の良し悪しについては、進学実績だけでは、余り、比べられないと思います。どこの私立も、公立にはない、いろいろな体験をさせますし、留学的なこともやっています。
一番、違うのは、校風、生徒の雰囲気と、しつけ、礼儀、人間としての生き方を、どこまで教育しているか、だと思います。
聖光の場合、カトリック系ですので、イエス様の教えです。
カトリックというと、宗教的で、ちょっと近寄りがたい、という雰囲気があるのですが、今の新興宗教や、仏教のいろいろな宗派が乱立し、みんな、他力信仰で拝めば、救われるようなことを言っていますが、それは間違いです。それが、人を遠ざけます。イエス様も、ブッダも、そんなことは言っていません。
人間は、物理の循環の法則、質量保存の法則、エネルギー保存の法則と同じように、生命(肉体ではありません。肉体は原子体です。)は不変であり、循環(転生輪廻)をし、魂の修行と、仏国土、ユートピアをつくる為に、生まれ、肉体を持つのです。
そして、ユートピアをつくる為には、調和が必要であり、調和する為には、まず、一人ひとりが慈愛の心を持ち、謙虚に、増上慢にならず、感謝と報恩の行為で暮らすことが大切、ということです。
慈愛とは、人の悲しみを悲しみとし、喜びと喜びとし、人を許す、ということです。その反対が心の三毒で、怒り、グチ、足ることを知らぬ欲望のままに生きることです。その根っ子は、自己保存、自我我欲です。
イエス様もブッダも同じ、神理を説き、肉体だけに心を奪われるのではなく、胸の奥にある、実体を持つ、心の尊厳性を説いています。
誰も、心の大切さ、心の尊厳性を否定できないと思います。人間としての根本的な生き方を、学校では教えるべきです。何回も、何回も、子供達に教えるべきです。
そうすれば、子供達の心に残り、正しいことをしようとする人間になり、子供の義務である勉強もするようになり、大人になっても調和する人間になり、人の為に、何かしようと思い、その為に努力をし、その子も出世すると思います。なるべく、中学生の時までに、教えるべきです。
そして、子供達に教える側の大人、教師が、自ら、原因と結果の根本となる、心の尊厳性、重要性を理解し、実践しているかが重要です。
実践していない、実践しようとしていない大人の心は、子供にも伝わり、子供が、大人のいうことを聞くはずがありません。偽善であり、説得力がないのです。
ですから、聖光でも、イエス様の教えを伝えようとしているなら、先生方が、そのようにしているか、分かっているかが大切だと思います。
単なるスローガンで終わらせない方がいいと思います。聖光に限らず、どこの学校の校訓も、つきつめれば、自己保存、自我我欲なく、慈悲と愛の心をもって、感謝の心で、報恩の行為を、人の為、世の為に為せ、ということになります。
怒り、グチは、必ず、争いを起こします。調和を目指すことが、人間の目的だ、ということを、子供達に教えるべきです。
作用・反作用の法則の通り、自分が発した想念は、自分に必ず返ってきます。善なる想いには善なる結果が、悪なる想いには悪なる結果が返ってきます。人を呪わば穴二つ、です。
表面的な、即物的な方法論や、ノウハウではなく、根本の原因である心のあり方を子供達に伝えれば、その子供達は、応用力のある、自由自在な考え方をするようになります。
自分だけが正しいと思い、自分を否定されるような言葉に耳を傾けず、否定されたという喪失感から恐怖心を持ち、怒りで相手に反論しようとし、自分を正当化するから、独善的になり、自分の考えだけに固執し、応用力がなく、理論的に考えられなくなります。
子供達には喪失感を与えず、基本的に、賞賛教育をすべきです。それが、自己肯定感(私は、この言葉は好きではありませんが)につながり、積極的に、失敗を恐れず、がんばれる子供になるのです。ちょっと長くなりましたが、そういうことだと思います。
興塾では、勉強のやり方についても、当然、教えますが、もっと大切な、この心の在り方、人間の生きる目的についても、できる限り伝えています。
最後になってしまいましたが、聖光の1つの特色である、寮がある、ということも、利用の仕方によっては、子供達の成長、自己確立をさせる為には、いいと思います。
奈良の西大和学園では、寮に入っている子供は、夕食の後、強制的な自主学習の時間が設けられています。勉強だけではありませんが、寮のメリットが活かされているかどうか、聖光でも、もう一度、見直されると良いと思います。
寮があることは良いことです。ただ、子供達は思春期です。寮の管理がしっかりできているかどうか、チェックすべきです。それが、保護者の信頼につながります。星野先生、大変でしょうけど、がんばって下さい。
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Posted by ケンゾー先生 at 14:30
│教育理念・指導方法│静岡聖光学院中学校・高校