2022年06月03日
6月、雨と紫陽花と心
こんにちは。
中学受験・高校受験・大学受験・個別指導・小論文対策なら興塾
です。
6月になって、もうすぐ梅雨の季節になります。梅雨の季節は、紫陽花(アジサイ)の花が雨にしっとりと濡れて、静かに上品にたたずむ姿がとてもきれいです。
高橋信次先生が、紫陽花のお花がとってもお好きだったと、聞いた事があります。
皆様は、梅雨というと、うっとうしいように思われますが、それは、まちがいです。梅雨も大自然の計らいなのですから、意味があって存在します。
人は、雨が降れば降ったで文句をいい、晴天の日が続き、雨が降らなければ、降らないで文句を言います。全く自分の都合で、文句を言っているだけです。感謝がない、という事です。
私は、人との話の中で、お天気、大自然について、例えば、雨が降って、いやだねえ、という人に会うと、この人は、ふだん、毎日の生活の中でも、いろいろ不満、グチが多く、感謝の心を持てない人なんだと思います。
人は、何気ない一言の中に、その人の全部を表す場合があります。塾の中でも、子供達の言葉や、保護者の方の言葉に気をつけて、相手が何を想っているかを、まず考えます。全ての原因は、想うことから始まるからです。
私自身も、自分の心で何を思ったかを、いつもチェックしながら、子供達と話をしています。正しく見て、正しく思って、正しく語る、ということを常に意識していますし、それが心の習慣になっています。
若い頃は、そういう事は知りませんでしたし、なかなか、理性によるブレーキもかからず、自分では、まともな人間だと思っていたことが、まともでなかった事が分かります。おそらく、大多数の大人、親、教師も含めて、みんな、まともではないと思います。
先ほどの、お天気の話で、雨が降れば降ったで文句を言う人は、まともではないのです。みんな、ほとんどの人がそうだから、自分はまともだと思ったら、大まちがいです。ほとんどの人がまちがっている、という事です。
己の心に、不平、不満、文句、人を責める気持ち、劣等感、増上慢があったら、それは、まちがいなのです。
人間とは、そういうものだと、人はよく言いますが、人間とは、何の為に生まれて、何故死ぬのか考えたこともないし、分からないから、人間とは、そういうものだ、と言うのです。
不平、不満を心に抱えていたら、その人の心は重いでしょうし、いつか、爆発します。怒り、グチ、足ることを知らぬ欲望は、心の三毒で、毒なのです。いつまでたっても、本当の幸せが分かりません。いい車を買った、いい家を買った、それが幸せではありません。
人は、自己保存、自我我欲をもたない心、をつくりあげる為に生まれて、毎日の生活の中で、魂の向上を図るよう修行しているのです。
そのような心、自己保存のない心を持っている人は、周りからも好かれ、類は友を呼ぶの法則の通り、いい人が集まり、出世して、人の為に何かをするに決まっています。
私も、少しでも、自己保存、自我我欲をなくしたいと思っています。その為には、自分の育った環境を反省し、修正し、現在の生活の中で、実践することが大切です。
自分の子供を立派に育てたいなら、親が自分自身を反省し、修正しなければならないのです。いくら子供を責めても、それは、親自身を責めているのと同じです。
学校の先生方も、御自分を反省、修正しなければ、生徒の教育はできるはずがありません。静岡県で、先生方の不祥事が、今年度はたくさんありますが、犯罪にはならないけれど、同じようなことは、もっとあると思います。
ただ、学校ばかりが悪いのではなく、一番悪いのは、親です。子供の教育は、子供が生まれた時から始まっているのであり、その時から、責任を負っているのは親だからです。
世の中は、頭だけで考えた主義、主張ばかりで、本当の心の尊厳性を分かろうとする人は少ないと思います。
私達、興塾の講師は、自分自身も努力をしますし、興塾の子供達にも、心の重要性を、できるだけ伝えようとしています。私には人一倍、その気持ちが強いです。
もちろん、三次元的な勉強の指導についても、追随を許さない指導をしていると思います。興塾に来れば分かります。そして、興塾に来る子供、保護者の方は、やはり、私たちと縁があって、来るのだと思います。
人の心、意識は、循環の法則と同じように輪廻転生します。その中で、縁も生まれます。
信次先生は、偶然なるものは一つもない、とおっしゃっています。とても、すごいお言葉だと思います。運、不運ではなく、全て、己の責任である、ということも言えると思いますし、偶然ではなく、縁生でつながっているのだと思います。
また、人は努力をしなければならない、ということですし、それこそ真の平等だといえます。
人の心は不思議です。過去を思えば過去を、未来を思えば未来を、大宇宙を思えば大宇宙を思うことができます。時間や空間を越えることができます。目にみえる肉体とは全く違うものだということです。
脳科学者は、脳で全部説明しようとしますが、無理です。人間が眠っている時、耳の穴も鼻の穴もあいていますが、人は、何も感じません。また、レム睡眠の時、人間の脳は活動していることが分かっています。
活動しているのに、寝ている人のそばで話しても、眠っている人は何も覚えていません。もし、脳の一部から、感情が出てくるとしたら、人の性格がいいとか悪いとか言えませんし、その人も、自分の感情、性格を正しようがありません。脳を直すしかありません。
ふつう、性格の悪い人、という場合、その人の心が悪いと思うはずで、その人の脳が悪いとは言いません。目には見えない、心、魂、意識と、目に見える脳は別のものです。
人は、自分自身を決めるのは、心だということ、心の重要性をもっと考えるべきです。**でふだん思った事だけが心だと、かんちがいしている人がほとんどです。ばかげています。
心の解明は、自分の心にあり、頭、脳で考えても分かりません。みなさん、心の良い人になりましょう。自分も、子供も。
お問い合わせはお電話で
0545-62-6755

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6月になって、もうすぐ梅雨の季節になります。梅雨の季節は、紫陽花(アジサイ)の花が雨にしっとりと濡れて、静かに上品にたたずむ姿がとてもきれいです。
高橋信次先生が、紫陽花のお花がとってもお好きだったと、聞いた事があります。
皆様は、梅雨というと、うっとうしいように思われますが、それは、まちがいです。梅雨も大自然の計らいなのですから、意味があって存在します。
人は、雨が降れば降ったで文句をいい、晴天の日が続き、雨が降らなければ、降らないで文句を言います。全く自分の都合で、文句を言っているだけです。感謝がない、という事です。
私は、人との話の中で、お天気、大自然について、例えば、雨が降って、いやだねえ、という人に会うと、この人は、ふだん、毎日の生活の中でも、いろいろ不満、グチが多く、感謝の心を持てない人なんだと思います。
人は、何気ない一言の中に、その人の全部を表す場合があります。塾の中でも、子供達の言葉や、保護者の方の言葉に気をつけて、相手が何を想っているかを、まず考えます。全ての原因は、想うことから始まるからです。
私自身も、自分の心で何を思ったかを、いつもチェックしながら、子供達と話をしています。正しく見て、正しく思って、正しく語る、ということを常に意識していますし、それが心の習慣になっています。
若い頃は、そういう事は知りませんでしたし、なかなか、理性によるブレーキもかからず、自分では、まともな人間だと思っていたことが、まともでなかった事が分かります。おそらく、大多数の大人、親、教師も含めて、みんな、まともではないと思います。
先ほどの、お天気の話で、雨が降れば降ったで文句を言う人は、まともではないのです。みんな、ほとんどの人がそうだから、自分はまともだと思ったら、大まちがいです。ほとんどの人がまちがっている、という事です。
己の心に、不平、不満、文句、人を責める気持ち、劣等感、増上慢があったら、それは、まちがいなのです。
人間とは、そういうものだと、人はよく言いますが、人間とは、何の為に生まれて、何故死ぬのか考えたこともないし、分からないから、人間とは、そういうものだ、と言うのです。
不平、不満を心に抱えていたら、その人の心は重いでしょうし、いつか、爆発します。怒り、グチ、足ることを知らぬ欲望は、心の三毒で、毒なのです。いつまでたっても、本当の幸せが分かりません。いい車を買った、いい家を買った、それが幸せではありません。
人は、自己保存、自我我欲をもたない心、をつくりあげる為に生まれて、毎日の生活の中で、魂の向上を図るよう修行しているのです。
そのような心、自己保存のない心を持っている人は、周りからも好かれ、類は友を呼ぶの法則の通り、いい人が集まり、出世して、人の為に何かをするに決まっています。
私も、少しでも、自己保存、自我我欲をなくしたいと思っています。その為には、自分の育った環境を反省し、修正し、現在の生活の中で、実践することが大切です。
自分の子供を立派に育てたいなら、親が自分自身を反省し、修正しなければならないのです。いくら子供を責めても、それは、親自身を責めているのと同じです。
学校の先生方も、御自分を反省、修正しなければ、生徒の教育はできるはずがありません。静岡県で、先生方の不祥事が、今年度はたくさんありますが、犯罪にはならないけれど、同じようなことは、もっとあると思います。
ただ、学校ばかりが悪いのではなく、一番悪いのは、親です。子供の教育は、子供が生まれた時から始まっているのであり、その時から、責任を負っているのは親だからです。
世の中は、頭だけで考えた主義、主張ばかりで、本当の心の尊厳性を分かろうとする人は少ないと思います。
私達、興塾の講師は、自分自身も努力をしますし、興塾の子供達にも、心の重要性を、できるだけ伝えようとしています。私には人一倍、その気持ちが強いです。
もちろん、三次元的な勉強の指導についても、追随を許さない指導をしていると思います。興塾に来れば分かります。そして、興塾に来る子供、保護者の方は、やはり、私たちと縁があって、来るのだと思います。
人の心、意識は、循環の法則と同じように輪廻転生します。その中で、縁も生まれます。
信次先生は、偶然なるものは一つもない、とおっしゃっています。とても、すごいお言葉だと思います。運、不運ではなく、全て、己の責任である、ということも言えると思いますし、偶然ではなく、縁生でつながっているのだと思います。
また、人は努力をしなければならない、ということですし、それこそ真の平等だといえます。
人の心は不思議です。過去を思えば過去を、未来を思えば未来を、大宇宙を思えば大宇宙を思うことができます。時間や空間を越えることができます。目にみえる肉体とは全く違うものだということです。
脳科学者は、脳で全部説明しようとしますが、無理です。人間が眠っている時、耳の穴も鼻の穴もあいていますが、人は、何も感じません。また、レム睡眠の時、人間の脳は活動していることが分かっています。
活動しているのに、寝ている人のそばで話しても、眠っている人は何も覚えていません。もし、脳の一部から、感情が出てくるとしたら、人の性格がいいとか悪いとか言えませんし、その人も、自分の感情、性格を正しようがありません。脳を直すしかありません。
ふつう、性格の悪い人、という場合、その人の心が悪いと思うはずで、その人の脳が悪いとは言いません。目には見えない、心、魂、意識と、目に見える脳は別のものです。
人は、自分自身を決めるのは、心だということ、心の重要性をもっと考えるべきです。**でふだん思った事だけが心だと、かんちがいしている人がほとんどです。ばかげています。
心の解明は、自分の心にあり、頭、脳で考えても分かりません。みなさん、心の良い人になりましょう。自分も、子供も。
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Posted by ケンゾー先生 at 14:00
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